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イベント報告
イムカキャリアUPセミナー アニマル浜口親子 講演会 (H17.2.12)
  --- アニマル浜口親子と福田富昭総監督の真剣な人生哲学に感動! ---
#206掲載(編集部

・2月12日(土)、航空会館(新橋)に於いて、アニマル浜口・京子親子と
 福田富昭アテネオリンピック総監督を迎え、イムカキャリアUPセミナーが
 開催された。

・第一部「気合い転職で勝ち取れ、メダル人生!」は、鶴田慎一氏(ビジネス
 スキル研究所代表)の軽快なコーディネートの下、3氏が語る真剣な人生哲
 学に満席の会場は大きな感動に包まれた。

・アニマル浜口(浜口平吾)氏は昭和22年島根県生まれ。小学校の時に家業
 が倒産し、9人兄弟は食べるために離散。浜口氏は大阪の中学校を卒業後、
 ボディビルダーを経てプロレス界へ。173cm の小兵ながらプロレスラーとし
 て大活躍。引退後はジムを立ち上げ後進を指導。プロレスラー時代には2度
 瀕死の重傷を負った。2度目は脊椎損傷で再起不能と言われたが、必死の
 リハビリと気功等により、1年で奇跡のカムバックを果たした。

 艱難辛苦の人生の中で悟ったことは、場所、人間、書と会って人は変わると
 いうこと。人生は戦い。自らを叱咤激励し続けた者が勝つ。負けることが恥
 ずかしいのではなく、負けて立ち上がれないことが恥ずかしい。誰にでも
 人生のターニングポイントがある。しかしモタモタしているとそのチャンス
 を逃してしまう。ここで決めなければという時は、何が何でも勝ち取るエネ
 ルギーが必要。

 また、浜口氏は集中力を高めることと書を読むことの大切さを説く。浜口氏
 が集中力を高める方法は、一点を見続け、自分の人生を振り返り、また大事
 な言葉を繰り返す。浜口氏はこの鍛錬を1時間行っている。

・京子氏は昭和53年東京生まれ。水泳の選手を目指していたが、13才で
 水泳を止めた時、親子で何時間も話し合い、レスリングへの道を歩み出した。
 遅いスタートだった。どうせやるならヘビー級をと、何と、自分の体重より
 多い最重量級を選択。懸命の努力の結果、日本では敵なしとなったが、初め
 ての世界選手権では圧倒的体格差に負け13位。次の世界選手権ではカナダ
 の世界チャンピオンと対戦し惜しくも延長戦で敗れ7位。しかし、その時
 京子氏が父の平吾氏に言った「体力負けはしなかった」という一言が、その
 後の父と娘の闘いを運命付けた。父ばかりでなく、浜口家では家族中で京子
 氏を全面的にバックアップしていくことになる。

・浜口親子は、真剣なトレーニングを必死に続けていると天が応援してくれて
 いることを実感する場に何度も巡り会っている。世界選手権で3年連続して
 優秀した後、京子氏はスランプに陥った。シドニーオリンピック開催当時、
 父子は最北端の稚内で早朝トレーニングを行っていた。「人生って寂しいね」
 という娘の言葉に「京子! 何を言っているんだ!」と父が叱咤激励してい
 る正にその時、二人の目の前の海からでっかい太陽が昇ってきた。二人は
 そのエネルギーを全身で受け止め、2年後のギリシャで復活を果たした。

・アテネオリンピックの準決勝で負けた後、京子氏は落胆の極で家に電話をか
 けた。そして、普段はとてもやさしい母から、まだ3位決定戦が残っている
 からと活を入れられ、京子氏は3位決定戦に勝つことができた。メダルの色
 は金ではなかったが、それに代え難い経験を京子氏は得ることとなった。

 京子氏が3位決定戦で勝った時、浜口氏は「次は北京だ!」と大声で言った。
 このような瞬間に言葉で目標を言うことこそ大事だと平吾氏は説く。浜口親
 子は一瞬、目が合っただけで意が伝わり、父のパワーが娘に伝わる。真剣に
 人生を生きている者同士だからこそできることだ。

・福田富昭アテネオリンピック総監督は昭和16年東京生まれ。レスリング元
 世界チャンピオンで、浜口氏のレスリングの師でもある。福田氏は現在、多
 くの会社を経営する傍ら、数え切れない程の要職にある。

 アテネオリンピックはメダル獲得数37個と史上最高の成績を収めたが、
 それは福田氏の手腕に負うところが大きい。各選手がオリンピックの大舞台
 で実力を発揮できるよう、様々な施策を講じた成果である。本セミナーでは
 その一部を披露して頂いた。

 (1) 政府による総合的なバックアップを引き出し、各選手が国内外の合宿を
    通じて、もの凄い量の練習と試合をこなせるようにした。

 (2) 周到な準備を徹底して行った。各役員を国内外の試合には必ず派遣。
   監督、コーチを1年前の同じ季節にアテネに派遣し、現場の交通事情、
   試合場、温度、風向き等々を徹底して調査。医者、栄養士、マッサージ
   師、ビデオ分析グループ等、選手を支援するグループを充実。自分の
   試合や対戦相手の試合のビデオは選手に何度も見せた。1つの目的を
   達成するには、周到な準備で50%が決まる。シミュレーションは最低
   1回は必ず実行。ビジネスもスポーツも同様だ。

 (3) 日本チームとして一つにまとめることに尽力。オリンピックの参加選手
   は1万人。役員を含めると1万5千人もいる。その中にいるだけで日本
   人選手は萎縮しがちだ。選手間の交流を盛んにし、日本選手同士で互い
   に声をかけるようにした。日本として戦おうという意識を強く持たせた。
   選手が不安感を持たないよう、日の丸もどんどん張り、日本選手への
   激励のメッセージもどんどん張った。選手たちは、これらから勇気と
   エネルギーを貰い、気力を集中させることができた。

 これらの施策が史上最高の成績へとつながったのである。福田氏は、周到な
 準備と決して諦めない気力・情熱が大切だと熱く語られた。これはスポーツ
 に限ったことではない。ビジネスマンとしても大いに成功されている福田氏
 から転職希望者への暖かいメッセージだ。

 この後、アニマル浜口氏による恒例の「気合いだ!」10連発が行われた。

・講演の後、転職成功者の方とイムカの谷内専務による「転職成功者による
 パネルディスカッション」及び「キャリアUP相談会」が行われ、キャリア
 UPに関する真剣な議論が交わされた。